1996年5月9日。
PRODUCTION I . G の奥深く、光の差さない会議室に、うら若き男たちが集められた。
彼らの前に、立ちはだかるひとりの男。その胸には、犬。
そう、その男こそ、誰あろう、「攻殻機動隊」で世界中のビジュアル・クリエイターを虜にした、
やたら犬好きなおじさん。
いやいや! えっと、とてつもなく斬新な演出をぽこぽこ生み出す映像業界の
アジテーター・押井守監督。
「マトリックス」を作ったウォシャウスキー兄弟だって、「踊る大捜査線」の本広克行監督だって、
押井氏の映像にガツンとやられたクチだってことは、もう当たり前に有名な話。
で、その押井氏とアイジーの若手(たぶん)精鋭部隊がその日スタートさせたものこそが、「押井塾」。
「BLOOD THE LAST VAMPIRE」を生みだした灼熱地獄の梁山泊。
さあ、これまで、多くを語られる事のなかった「押井塾」の正体・・・
ってゆーかさ、要は、何してたの? って、話を「BLOOD―」誕生の立役者、
神山健治氏と藤咲淳一氏のお二人からたっぷり聞き出しましょう、そうしましょうっと。
「人脈」活かせる他の方が、誰に描いてもらったかというと・・・! なんと、「人狼」監督・沖浦啓之氏(!)、同じく「人狼」作画監督・西尾鉄也氏(!)、そして、「BLOOD THE LAST VAMPIRE」作画監督・黄瀬和哉氏(!!)だったりするのだ! 仕事でお願いするのも、タイヘンな人たちばっかりじゃないかぁっ!