天暦五年は平将門が敗死してより十年という節目を迎えた年でもある。小競り合いは相変わらずなれど、霧中の平穏を営む民人の中にあって、陰陽の業に生きる者にとっては緊張を強いられる日々が続いた。唯一人を除いては。
月の明かりを前に星すら霞んでしまいそうな都の夜、齢十五の晴明が一人、大路を渡っていた。師より命ぜられた夜回りなれば、日々欠かさずに行いもしようが、こう何もなければ騒動の一つも期待してしまうのは、未だ挫折を知らぬ神童ならではの増長である。
陰陽の徒として、類い希なる才覚を有する晴明はしかし、その豊かなる才故に全てを見下す嫌いがあった。また、外面的にも女人以上に白く美しい肌に整った面持ち、一挙手一投足の全てに至るまで人を魅了する華麗さは、この世の者と思わずにはおれない壮麗さを持ち合わせていた。
男女の別無く一夜の逢瀬を求むる詠が日毎に晴明の元に届いたが、興味を惹くものは一葉たりと有りはしなかった。過去に幾度か誘いに乗ったこともあったが、それは全て知的好奇心から来る衝動で、愛情など一片たりとて存在し得なかった。今日の晴明の悪評の半分以上は容姿や才能に対する嫉妬などではなく、歯牙にもかけられなかった凡人共の嫉みであった。
文武陰陽に於ける才能、容姿が秀でていればいるほど、安倍晴明は他者から疎まれ、また他者を疎むようになっていった。
辻を一つ渡る度に、歌詠と共に足の先で地面に紋様を描く。
「東風や吹く 朱雀の大路 沙門艮 渡る白砂 黒の御簾紙」
平安の都は当時最高の四神相応の土地であり、その強すぎる気を澱まぬよう、呪と紋で絶えず流してやることも陰陽に仕える者の役目であった。気の淀みは即、都と国の崩壊に直結する。斯様に重要な役目を晴明一人に任せるには豊かな才能は勿論のことだが、それ以上に師である賀茂忠行の苦悩があった。
もはや陰陽寮において晴明を凌ぐ者など数えるほどしか存在しなかったが、その才能に見合った役職につかせば、波乱を招くは必定。才無き者の嫉妬は何も年齢だけから来るものではなく、晴明の高貴とはいえぬ出自が醜い感情を増長させる。
晴明の方も他人に関わらずに済むと言って今の立場を甘受していたが、さすがにこの暇を持て余してもいた。
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