東の空が紫掛かり、まもなく旭が昇ることを下界全ての生命に報せた。
夜回りを終えた晴明は、東に見える教王護国寺の影が濃くなっていく様子を眺めた。ぼんやりとだが見えていたものが、光によって陰陽に別れていく様が晴明は好きだった。何事もはっきりさせる事を好む晴明には、変わっているというよりはむしろ、らしいとすら言える。
      『紗庵……紗庵…紗庵……』
錫杖を打ち鳴らすような音に我に返った晴明は己の失策に舌打ちをした。光の流れに気を取られ、周囲への警戒が疎かになっていたのだ。他人に無防備な姿を晒すことを極端に嫌うのは、性分とはいえ齢十五の若者にはあまりにも哀しかった。
音の正体は異形の者達であった。手足に金属製の輪を幾つも連ね、狂い人のように揺らめき踊り、わずかに判る程度の行列を成していた。金属の輪がぶつかり合って『紗庵…紗庵…』と音を奏でている。十人足らずの集団であったが皆好きに手足を振るい、とても一つの集団として成り立っているようには見えなかった。ただ全員に幾つかの共通点を見出すことは出来る。笑っているのであろうか、だらしなく開かれ口と、狂気に取り付かれているようにしか見えない、異様な輝きを放つ目だ。否、全員ではない。
唯一人、仮面で素顔を隠した女人がいた。着崩れた着衣からは見せつけるかのように素肌がのぞき、未だ固く膨らみきらぬ胸は彼女が童女の域を脱しきれていないことを証明していた。
晴明は踊り続ける狂人の一団を追うことにした。自分の裡にいる何者かの囁きに従ったまでだ。心の裡に潜む何者かの存在に気付かない普通の人々にそれは直感と呼ばれる程度のものでしかない。
陰から影に音もなく忍び込む事など、神才の陰陽師たる安倍晴明にとっては児戯に等しき行動であった。
そうしてどれほどの間、彼らを追っていただろうか。晴明の心に髪の毛一本ほどの油断が生じた。飽いたと言い換えても良い。旭が山の稜線からのぞく直前、彼らは同時に動きを止めたのだ。それぞれが踊りの途中の姿勢で、まるで歪な焼き物か樹木のように微動だにしない。晴明はようやく訪れた変化を見逃すまいと、影の中から固唾を飲んでいた。
緩やかに、奇妙に、仮面の童女が晴明の潜む影を見た。仮面からのぞく瞳は憎悪を籠めて、確実に晴明の眉間を射抜いていた。
 「誰ぞ」
 「我らをつけるのは誰ぞ」
仮面の主の声は鈴のような可憐な響きで晴明の耳朶を打った。その一声に乗じて、全員が一斉に晴明の方を見る。晴明は不覚にも背中が泡立つのを自覚した。
それは言い訳しようがない事実として晴明の自尊心を抉った。今まで抱いたことのない感情であった恐怖が晴明の魂をつかんだのだ。
 「鬼じゃ」
 「鬼の子じゃ」
 「呪われし御子が何用じゃ」
 「呪われよ」
 「都も国も呪われよ」
 「人も獣も、何もかも呪われよ」
奥歯を噛み締めた晴明は、結局その場を動くことが出来ず、みすみす狂人の集団を捕り逃してしまった。

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