周囲は漆黒の闇に包まれていた。
天も地も無く、ただ真なる闇黒のみがそこに存在していた。
頼光が何も身につけていない己を不思議に感じられなかったのは、この何物をも包み込む闇のせいだったのかもしれない。全身がまるで水の中にあるかのように重たく感じられ、頼光は戸惑った。
 「父上、母上…どこにいるのです? …晴明殿?」
辺りを見回しても誰もいない、誰も応えない。静寂がこれ程に恐ろしいのかと、頼光は始めて感じた。
 「…誰か…誰か返事を…」
孤独感が水牢の水のようにじわじわと足元から這い上がってくる。その恐怖に頼光は堪えきれなかった。喚き、叫ぶことで恐怖を取り除こうとしたが、静寂が更なる恐れを招いた。
 「誰か応えて…。独りは…嫌…」
うずくまり嗚咽する姿は親に見捨てられた小動物を思わせる。
今まで張ってきた緊張の糸が切れ、背伸びをして生きてきた反動が、年齢よりも幼い行動をとらせていることを、誰が責めることが出来ようか。今始めて頼光は、本当の自分をさらけ出しているのかもしれない。
ざわっと肌が泡立ったのは寒さからではなかった。冷たくも生暖かい【何か】が背に触れた。そう感じた瞬間には、数十匹の蛇に包まれているかのように、全身に同様のおぞましさが走った。
今の頼光は家鳴りにも怯える幼子と変わらない。みっともなく泣き喚き、そして悪寒を振り払うかのように形振り構わず暴れた。
普段であれば続く体力もすぐに尽き果て、闇の中、大の字に転がった。いまだ全身を這うようなおぞましさは欠片も消えていなかったが、あまりの疲労に指を動かすのも億劫だった。
 「…ここは何処なの…皆、何処にいるの…」
胎児のように身体を丸め、心すら自らの裡に閉じこもろうとした。少しも悲しくないのに、いくら強く瞼を閉じてみても涙が止まることはなかった。本当に、ただ寂しかった。
色々な人物の顔が浮かんでは消えていった。両親、兄弟、晴明、使役人の皆、そして三人のいつか会えるかも知れない大人達。何人も何人も現れ消えていく度に、頼光は孤独を感じずにはいられなかった。
 「もう…嫌だ…助けて…」
更に固く身を縮こめたその背に暖かいものが触れた。全身を覆う悪寒がその周囲からだけは立ち退いていく。
 「誰…? 母上?」
暖かさは優しさとなって頼光の全身に広がっていった。雪が陽の光に溶けるように心がほぐれていくのがわかる。
気がつけば頼光は幼子となって、その優しい膝に抱かれていた。優しい眼差しと少し精悍な面持ちの女性の手が頼光の髪を櫛削る。
髪を梳いてくれる手は、女人にしては固い印象だったが、仕草の柔らかさと温もりが心地よかった。頼光は何度も何度も眠りに落ちそうになったが、その度に女人と離れがたい衝動に駆られ、睡魔の誘いを振り切った。
 「…………」
 「え? 聞こえない」
薄く紅を轢いた唇が、何かを言っているが、その音が頼光の耳に届かない。
急速に闇に飲まれていく。白い闇が漆黒と頼光と、女房装束の女人を飲み込んでいく。

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