よそよそしい家族遊戯は年の暮れになると終わりを告げた。品子が子を宿し、腹の膨らみが目立ち始めたのだ。貞光も彩子も、新たな弟妹が出来ることの意味を好意的に受け止め、屋敷を離れることも、その数を減じた。
彩子はよく身重の品子の話し相手をしたし、貞光も二人の弟の面倒を見た。ようやく碓井の家にも本当の笑顔が訪れようとしていた。
 「父上。金剰殿がお見えになられております」
道貞を呼びに来た貞光は、閉めきった母屋から微かな異臭を感じたが、来客を歓迎するために珍しい香でも焚いているのかと気にもとめなかった。
金剰は豪放磊落な強者で、その日はいつにも増して上機嫌だった。貞光はこの大柄な男の事が好きで、幼い頃はよくついてまわった。
昌子が急逝する以前の日常という名の幸せが、一気に戻ってくる予感が貞光にはあった。
本当に、幸せになれると信じていた。
夜になって貞光は兼貞が金剰の家に養子に行ったことを知った。まもなく新たな年を迎えようという今の時期に何故、それも突然に。少なくとも金剰の家であることが安堵をもたらせたが、あまりと言えばあまりである。
しかし、一度始まった崩壊は止まることを知らない。
数日後に姿を消したのは貞時であった。貞光には理由が判らなかった。何故、父は家族を引き離そうとするのか。家督争いを避けるにしても、まだ弟たちは幼く、両親の愛情が必要なときであった。そう思えばこそ、継母である品子と偽りの親子を演じることが出来たというものを。
 「父上は何を考えていらっしゃるのでしょうか」
同じ疑問を持つ彩子に答えてやれるだけの考えを貞光は持っていなかった。ただ、わからないと首を横に振るしか出来ない自分が悔しかった。
 (もうここは…碓井ではない)
貞光はいつか自分が一人きりになる姿を想像し、恐れた。今まで、嫌なこと、辛いことも多々あったが、それでも平穏で幸せな暮らしをしてきた貞光にとって【独り】になることは死の宣告にも近いものがあった。
後に康道と命名される、貞光にとって末の弟が産まれたのは、そんな不安が胸中に渦巻いている初春のことだった。
床についている品子のそばで、康道をあやしている彩子を、貞光は眩しいものでも見るかのように眺めた。人が享受し、忘れてしまう至福の光景がそこにはあった。ただ、人はその幸福の記憶を持ったままではいられない。
 「いつかお前も母になるのだな」
美しい紅色の梅花を見上げ、貞光は隣の彩子に洩らした。「当分、先の話ですよ」と彩子は梅花のように頬を赤らめて笑った。
 「それに…」
貞光は、恥ずかしげにうつむいた彩子の白い手を握った。彩子もまたそれに応え、握り返してくる。冷たい彩子の掌が貞光には心地よかった。
 (いつまでもこのままで…)
それが妹との別れになろうとは貞光は気付かなかった。
夕刻、贈られてきた様々な品物を康道の誕生を祝ってものと信じて疑わなかった貞光を、誰が責められようか。それが彩子を売って得た品物と知らなかった貞光を、誰が責められるものか。
金剰に入った兼貞、朝倉に入った貞時と異なり、彩子が何処に嫁いだか、教えてくれるものは誰もいなかった。


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