貞光の目は小刻みに動き、状況を把握しようと脳は急回転していた。貞光の雰囲気から危機を察知したのか、ひがんは黙りこくってしまった。静かになって助かるが、出来れば握った袖も離して欲しいと貞光は思った。ひがんの身体の震えが貞光にも伝わる。
貞光の雰囲気の変化を捉えたのはひがんだけではなかった。気付かれたことを覚った野盗が次々に姿を現し、その数は十を越えていた。外見で判断するのは愚の骨頂だが、正式に剣術や槍術を習った者は一人もいないように見受けられた。
 (…どうするかなぁ…)
貞光はすでに『いかに勝つか』ではなく『いかに生き延びるか』に考えを改めていた。貞光は『死んで誉を取る』などという武家にありがちな思考が反吐が出るほどに嫌いだった。
 (死んで何かが残るものかよ)
大切な人間を、生死問わずに失い続けた貞光だからこそ、死の絶望と生の可能性を痛いほど身に沁みていた。
遠くに馬蹄の音が聞こえる。隠れている連中の気配が変わらないことから、未だ貞光しか気付いていない程度の大きさの音だ。
 (これ以上相手が増えるのは面白くないな…)
この集落の人間が呼び寄せた者ならば良いが、野盗の増援ということも考えられる。どちらにしろ騎馬であることから、武力は歩兵以上と考えて間違いない。
迷いを表情に出さないように注意していたが、ひがんは貞光の不安を感じたのか、貞光の背にしがみつく腕の力を強めた。
 (三つ…いや、四つか…。どうする、ひがんを見捨てれば俺だけ逃げることは容易いが…)
貞光の精神が堪えきれなくなるその直前、地面に降り立ったのは三本の矢だった。立派な拵から推し量るに、野盗の類ではないと思えた。
野盗の集団に明らかな動揺が見られる。矢を放った者達は貞光にとって味方ではないかもしれないが、少なくとも野盗の増援ではないことがこれで確定した。
貞光はひがんの腰を抱え上げると、最も手薄に見える箇所を突っ切った。もはや、野盗共に貞光を構っている余裕はなくなっていた。
野盗からある程度の距離をとった貞光はそれ以上離れず、やってきた者達の正体を見極めようとした。振る舞いようによっては思わぬ利益が転がり込むことを考えてのことだ。
野盗達の中にも、逃げようとする者、迎え撃とうとする者が発生し、彼らの混乱を如実に表していた。
騎馬は貞光の聴覚が捉えたとおり四騎。ただし、その構成は貞光をして驚くべきものだった。
四人のうち二人は年季の入った面構えでまた鎧も簡素と、至って普通の武者と感じられたが、最も豪奢な鎧を纏っていることから、恐らくこの騎馬の大将であろう武者はまだ若かった。いや、大将を務めるには若すぎると思えた。残る一人は武者の中にあって異色としか言い表せなかった。僧形の男が何故、馬に跨り武者に並ぶのか。
若武者と僧形の男は鬼神の働きぶりを示し、ほぼ二人きりで野盗共を打ち払った。貞光は不覚にもその美しいとさえ思える動きに目を奪われ、立ちつくした。
 「そちは逃げぬのか」
背後から声をかけられ、貞光の身体は反射的に動いてしまった。反転すると、その勢いのままで拳を馬の横っ面を打ち付けた。将を討たんとすれば、という奴である。
後悔したところでやってしまったことは仕方がない。やれるところまでやって勝ちを握りさえすれば、相手も話を聞くだろうという楽観思想を元に、竿立ちになった馬から落ちた古参の武者を組み敷き、武者の腰から抜き取った太刀を相手の喉元に突きつけた。
 「止さぬか」
野盗を追い払った若武者は涼しげな声で諫めた。外見に比して声は更に若いが、何処か落ち着きのある湖のように思えた。
若武者は馬から降りると、貞光に向かって頭を下げた。
 「臣が非礼を働いたこと、お詫び申し上げる。お怒りはごもっともでしょうが、私の願いを聞き入れ、槍をおさめてはくれませぬか」
何処の誰ともしれぬ、薄汚れた風来坊を相手に源頼光は心からの謝意を示した。
大きく息を吐いた貞光はその場で仰向けに倒れた。緊張を解いたのは事実だが、正直なところ演技だった。こちらには非がないことを見せつけておけば、お咎めもないだろう。
貞光の下から這いだした武者は、大の字になった貞光を面白くなさげに見下ろした。何処の馬の骨ともしれぬ輩に完膚無きまでにやられたのだ。本来であれば斬って捨てたいと思っていることだろう。
しばらくすると今まで何処に潜んでいたのか、集落の住人達が這い出してきては無事を喜んだ。
頼光を始め、武者達は住人から感謝されるが、貞光だけは誰一人として声をかけようとしない。当然のことと判っていても、やはり面白くはない。住人が開いてくれるという宴に頼光は誘ってくれたが、貞光は早々に集落を立ち去る気になっていた。
 「さだみつ、どうしたの」
頼光との会話を聞いていたのだろう。ひがんは舌っ足らずな声で、覚えたばかりの貞光の名を口にした。甘い誘惑が貞光の心を絡め取ろうと蠢く。見つからない妹を捜す旅をここで終わらせるのも悪くない。
ひがんの黒目がちの瞳がすがるように貞光を見つめる。
貞光は主を待っていた愛馬を野に解き放った。


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