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■魔縁塚 まえんづか
→ex: 武田信玄
→ex: 高坂弾正
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山梨県甲府市岩窪にある武田信玄公廟所(ここに墓石が建立されたのは二百年後の江戸時代)。信玄の遺言によりその死をすぐに公表せず、没後三年たった天正四年四月十六日に、葬儀を行なった。その際、は「別して往年の浅からざるにより、頻りに悃望申し」てただ一人剃髪染衣の姿で従ったという。
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■結界 けっかい
→ex: 吸力結界
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Shimabandha。諸魔の障難を払わんが為に、印明の法(一種の作法)によって制定する道場の界区をいう。密教において用いられる法で、主として道場を護り浄めることをその趣意とする。(「仏教辞典」大文館書店刊より
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■憑坐 よりまし
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神霊が取り付く人間。特に、祈祷師が神霊を招き寄せて乗り移らせたり託宣を告げさせたりするために伴う霊媒としての女性や童子。ものつき。よりびと。尸童(広辞苑第五版より)。
ミラージュでは、霊に憑依された人間(依代-よりしろ)を憑坐と呼んでいる。
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■憑依 ひょうい
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霊が生きている人間に乗り移る、もしくは取り付く行為。
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■魂魄 こんぱく
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心身の異名。魂は霊の働きがあって形がないものを差し、魄は形があって霊のよりどころとなるものをいう。自己存在の根源的生命。
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■バイ ばい
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毘沙門天(びしゃもんてん)の種字。種字とは仏を梵字一文字であらわしたもので、字そのものが仏であるという思想のもとに描かれる。たいていは、その仏の真言の1文字もしくは梵名の頭文字などを用いる。
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■真言、陀羅尼しんごん・だらに
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仏の教えの精要で、神秘的な力を持っていると信じられる呪文。陀羅尼とは、総持とか能持と漢訳され、本来は、すべてのことや教えをよく記憶して忘れない力、の意。本来はサンスクリット語で表す。古代インドでは神々の徳をたたえる歌であり、宇宙のすべての存在は振動を凝縮した音だと考えられていた。
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■「のうまくさまんだ ぼだなん ばいしらまんだや そわか」
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毘沙門天の真言。長い道程を歩く際、毘沙門天の印を結びこの真言を唱えながら歩くと、疲れず、速く、災難にもあわないと言われる。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン」=あまねく仏に帰依
「バイシラマンダヤ」=毘沙門天
「ソワカ」=速疾成就
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■毘沙門天 びしゃもんてん
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毘沙門天=梵名のバイシュラマナ(Vaisravana)の訳。仏の教えをよく聞くという意味で、多聞・普聞・遍聞などとも訳される。インド古代叙事詩「マハーバーラタ」では悪霊の長であり、ヒンドゥー教では、ヒマラヤから産出された富を自在に扱う神(クーベラ)となる。仏教においては、須弥山(しゅみせん)中腹の北側に住み、夜叉を率いて、憤怒の姿で岩座に立つ。北方を守護する四天王の最強の神であることから、軍神としての信仰も厚い。中世において武神として広く尊崇され、上杉謙信も信仰し「毘」の文字を旗印として用いた。七福神の一神。
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■刀八毘沙門天 とばつびしゃもんてん・とうはちびしゃもんてん
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ミラージュでは、「光包調伏」の際、唱えられる。
毘沙門天の一異形「兜跋毘沙門天」が誤って「刀八」と後世に伝わり、それにあわせて、像も八口の刀を持つ多臂像が作られるようになった。王冠をいただき、12本の手のうち、前4本に、毘沙門天の持物である、鍵・宝珠・塔・戟を、左右に出た8本の手に、一口ずつの刀を持ち、獅子の台座に乗っている。室町時代初期の仏教絵画などでは、姿が「兜跋」のものであっても「刀八」と呼ぶことがある。
上杉謙信は毘沙門天の「毘」の文字を軍旗に用い「刀八毘沙門の旗」として掲げ戦場に赴いた。
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■兜跋毘沙門天 とばつびしゃもんてん
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冠をつけ、戟(げき)と宝塔を持ち、尼藍婆(にらんば)・毘藍婆(びらんば)という二鬼を従えた地天の両掌上に直立した毘沙門天を特に兜跋(とばつ)毘沙門天と呼ぶ。毘沙門天の異形の一つで、西域兜跋国に化現した姿を模す。
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■調伏・調伏力 ちょうぶく・ちょうぶくりょく
→ex: 刀八毘沙門天
→ex: のうまくさまんだ ぼだなん ばいしらまんだや そわか
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加持や祈祷を用いて、悪霊や物の怪を屈服させること。その力。
ミラージュでは、この世に怨霊として残った霊魂をあの世(冥界)に送りつける、冥界上杉軍の者のみが使える特殊な《力》。上杉の守護神・毘沙門天から授かる力で、「光包調伏」「裂炸調伏」「結界調伏」など数種類の方法がある。毘沙門天の真言(陀羅尼)を唱え、手に印を結んで、種字(バイ)を観ずるのが基本。ちなみに、「光包調伏」では「のうまくさまんだ…」、「裂炸調伏」では「阿梨 那梨 那梨…」を唱える。
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■腕釧 わんせん
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仏身の装飾具の一つ。釧は、仏像の手足につける環状のもので、鐶釧(かんせん)とも呼ばれる。上膊部につける釧は臂釧、手首につける釧は腕釧、足首につける釧は足釧と呼ぶ。菩薩や天部・明王像は全身にきらびやかな装飾具をつけるが、悟りを極めた仏の姿である如来像は大日如来を除きこれらを一切つけない。
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■護符 ごふ
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諸願成就のための、霊的加護を受けるための媒体。お守り。
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■力 りょく
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いわゆる霊能力、念動力などの精神エネルギーによる超常能力を一括してこう呼ぶ。大きく分けて、念を用いて相手(物体・霊体とも)に作用する「念動力」と霊査や催眠など相手の内界(意識・精神・霊魂)に働きかける「霊波力」にわけられる。景虎たちの用いる「調伏力」は高度な「霊波力」の一種。
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■河原 かわら
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第一話、橋の上に佇む少女(由比子)に高耶と譲が気づくシーンで描かれる川は、長野県松本市街を流れる女鳥羽川(めとばがわ)。三才山を源流とする全長約10kmの川である。尚、由比子が立っていた橋は、朱塗りの欄干が特徴的な中之橋。
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■「鞭声粛々夜河を渡る」 べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる
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鞭声 粛々 夜 河を 渡る
暁に 見る 千兵の 大牙を 擁するを
遺恨なり 十年 一剣を 磨き
流星 光底 長蛇を 逸す
第四回川中島合戦(永禄四年)の様子を歌った頼山陽の漢詩。
頼 山陽 らい さんよう
安永 9年~天保 3年。江戸後期の漢学者。大阪生まれ。著書『日本外史』・『日本政記』・『日本楽府』など。
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■川中島の合戦 かわなかじまのかっせん
→ex: TOURS
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越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が信州川中島にて交わした戦闘。おもな対戦だけでも五度に及ぶ。なかでも激戦だったのは、永禄四年(1561年9月10日)の第四回。世の中で「川中島の合戦」といえばこれであり、謙信が単騎本陣に切り込み、信玄に七太刀斬りつけた有名なシーンもこの合戦でのことだと伝えられる。ちなみに謙信が景虎を養子に迎えたのは元亀元年(1570年)であり、最後の川中島合戦(1564年)の6年後にあたる。
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■妻女山見晴らし台 さいじょざんみはらしだい
→妻女山QuickTimeVR
→ex: TOURS
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第一話において、直江が自分達に課せられた使命と衝撃的な正体を高耶に語った場所。
妻女山は、永禄4年の川中島合戦の際、上杉謙信が布陣した場所であり、武田信玄が陣した茶臼山から南東へ約4kmに位置する。現在、山頂には、鉄製の見晴らし台が設置され、信州のサンセットポイントに選ばれている。
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